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Jan 9

この曲線は、次のことを意味する。
 (1) 初期(低レベル)では、やる気と成果は比例する。
 (2) やがて、やる気に対して、成果は逓減する。(やる気の効果が弱まる。)
 (3) ついには、やる気に対して、成果は頭打ちになる。(ピークになる。)
 (4) それでもやる気を出すと、成果はかえって減ってしまう。(疲れ・故障)
 (5) さらに無理してやると、壊れてしまう。最悪の場合、死ぬ。

 先の項目で紹介したように、桑田の示した「故障した野球選手」の例は、(5) に相当する。やる気がありすぎて、故障してもなおも練習を続けたため、体をこわしてしまい、選手生命を失った。(この場合、選手生命を失ったが、人間生命を失ったわけではない分、マシである。)
 一方、世間における過労死の例では、人間生命を失うことになる。

 ──

 以上からわかるだろう。
 「やる気と成果は比例する」
 というのは、間違いではないが、それが成立するのは、低レベルの場合だけなのだ。
 逆に言えば、このようなことを主張するマイクロソフトというのが、どのくらいのレベルにあるか、よくわかるというものだ。

 まともな人ならば、(2) や (3) の段階にあるだろう。その場合、最も有効な教訓は、次のことだ。
 「やる気をなくして、ゆっくり休め」

- http://openblog.meblog.biz/article/2991728.html

「のはず・のはず」が行き詰まって、
 土台からぐずぐずになっていくんじゃないかなぁ。

- http://www.1101.com/home.html

「学習された無力感」というのがある。 『犬を縛り付けておいて、電気ショックを与え続ける。 最初のうち犬は必死でもがくが、縛られている為に 電気ショックから逃れる事が出来ない。これを数週間続けるうちに犬は 「自分は無能で何をやってもムダだ」という感覚が植え付けられ、 そのうち 電気ショックを受けてももがかなくなり、 ひたすら衝撃をガマンするだけになった』 これを心理学では「学習された無力感」と言う。 『極度の無気力状態に陥った事が確認された後、セリグマンは犬の縄を ほどいて逃げられるようにしてやったが、それでも犬は黙って 電気ショックを与えられるがままで、逃げだそうとはしなかった。 努力をムダだと信じ込んでしまった為「逃げる」という 選択肢を失ってしまった。そしてセリグマンは、 犬を抱き上げたり押したりして、電気ショックを受けない所まで 再び元の場所に戻し電気ショックを与えた。 犬は逃げれば痛くないと判ったはずなのに、やはり動こうとはしなかった。 一度無気力状態になった犬は、「さっ 痛くなかったのは 誰かが助けてくれたせいで、自分では何も出来ない」と信じていたのだ』 これは人でも同じ。「あれをしてはいけない、これをしてはいけない」と 言われ続けた人間は消極的な性格になる。 http://hayabusa.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1355642426/l50

・学生だったら成績表が渡されるし、
 企業だったら決算書がでてきます。
 それを見る、がっかりする、あるいはよろこぶ。
 
 でも、気づかないといけない。
 その成績は、決算は、起こったことの記録なのです。
 過去にやってきたことの結果が、そこに記されている。
 いま現在読んでいるのだけれど、書いてあるのは過去。
 そういうものなんですよね。
 
 いまがっくりすることは、過去にやったことのせい。
 いまよろこんでいるのは、過去にやったことのおかげ。
 とてもあたりまえのことなのですが、
 ぼくは、最近まで気づいてなかった。
 「成績表に、いまを感じていた」と思うんです。
 決算なんかでも「今期は‥‥」とか言いますよね、
 それも、いまの数字みたいに思いやすいです。
 過去の集積、過去の結果を読んでいるだけなのです。
 
 仕事の種類はいろいろで、みんなちがうんだけど、
 農業に似たものを感じるんですよね。
 トマトを収穫している人は、
 過去にトマトの苗を植えて、面倒みてきた人です。
 秋に稲刈りをしているのは、米を育ててきた人です。
 唐突にトマトは実らないし、
 いま収穫している米はずいぶん前に植えた苗です。
 つまりは、また植えないと、次の収穫はない。
 
 努力と収穫の間に、時差があるんですよね。
 がんばっている最中には、実りは目に見えない。
 そういう意味では、冬って寒いし、体調くずすし、
 正月ぼけもあるし、年の終りや期の終りもあるし、
 ついつい「ぼーっとしちゃう」ことが多いんです。
 クマだって冬眠するし、とか言っちゃってね。
 でもね、その季節になんにもしてなかったりすると、
 春や夏に「収穫がないぞ?」とおおあわてになります。
 
 え~、今日は、いつも以上に、じぶんにね、
 じぶんと、わたしたちにね、語りかけております。
 冬の寒さのなかで、なにをしているのか‥‥。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
くどいようだが、いまから春まで寝てるんじゃないぞ。

1. 人から聞いたというだけの理由で信じてはいけない。
2. どんな伝統も、ただそれが古いからとか、何代も受け継がれているからとか、多くの地域で受け継がれているからというだけの理由で信じてはいけない。
3. 噂になっているからとか、人々がよく話しているからという理由で信じてはいけない。
4. 昔の聖者が書いた教えを見せられたからという理由で信じてはいけない。
5. 自分が思い描いたことを、それが尋常でないことだからといって、神や素晴らしい存在によって啓発されたのだと信じてはいけない。
6. ありそうなことだからとか、長年に渡る慣習のため真実らしいというだけの理由で信じてはいけない。
7. 何事も教師や司祭の権限だけの理由で信じてはいけない。 ただ、よく吟味熟考した上で理性と経験によって承認できること、善いこと、自他共に、また世界全体に恩恵をもたらすことを真 実であると受け入れ、その真実に則ってあなたの人生を送りなさい。

- http://lifehack2ch.livedoor.biz/archives/51394046.html

 
・じぶんで言っちゃだめだろう?
 ということが、ほんとうによくあります。
 
 「わたしの、ありのままを愛してほしい」
 っていう言い方、よく聞きすぎて馴れちゃってますが、
 よくよく考えたら、身勝手過ぎないか?
 相手に求めているのは「寛容」ですが、
 ご本人には、欠点を直す気がないってことです。
 
 「おれって、馬鹿正直だからさ」
 というのも、本人が言っても信用できませんよね。
 よくよく考えたら、「他人は嘘つきだ」ってことですし。
 これも、相手に対しての「寛容」を強要してませんか。

 「ときどき毒を吐きます」
 と、自己紹介している人もよくいるんですが、
 先に自己弁護しておいて、悪口を言いますよってこと?
 他人には、吐かれた毒は迷惑ですから、
 吐かないようにしてほしいのですが、
 「おれは吐く人間だから、吐いていいんだ」と、
 特権的に「寛容」に扱ってくれということですか。

 「俺、ほんと商売がヘタだからさ」
 って、まるで自慢のように言う人がいますが、
 それは、上手になるつもりがあったのでしょうか。
 悪人なのに商売だけが上手な人って、
 たぶん世の中にはいないと思いますよ。
 「悪徳商法」とかはともかく、
 ふつうは、まじめに商売をやっている人がほとんどです。
 「商売のヘタな俺」さんが「損ばっかりしてる」のは、
 なにか別に理由があると思われます。

 他人に「寛容」を求めるというのは、
 第三者、弁護人的な人の役割だと思うんです。
 当事者が言うのは、甘えというより、
 なんというか図々しいんじゃないかなぁ。
 「わたしだけは、勝手にやらせてもらいたい」
 という前口上みたいなものは、少年期までにしてほしい。
 ‥‥と、そんなことを思うぼくちゃんなんだけどさ、
 じぶんのなかにも、そういう「俺」がいるわけでー。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
水戸に行きますよ。帰りにはたぶん納豆を買ってきますね。

- http://www.1101.com/home.html

Nov 7

社会の歯車になりたくないと思ってる奴は多くいるが、
取り替えのきかない人間なんていない。どんな奴にだって代替品が用意されている

自分が特別だという考えは、
ピカピカで悪趣味な蝶ネクタイみないに邪魔なだけだ

歯車こそが世界を動かす重要な仕組み、その大きなうねりの中で
”個人はただの中継点に過ぎない”
と気付いた奴だけがマトモでいられるってこった

Nov 2

忘れるのを恐れるな。忘れると、その記憶は無意識に沈み変容し人格を形成する。忘れて変容した記憶が多ければ多いほど人格が豊かになる。アイデアやファンタジーが浮かぶというのは、実は変容した記憶の浮上なのだ

(子安美知子『エンデと語る』より)

Nov 1

たしか『ティッピングポイント』
 という本にあったんだと思うのですが、
 アメリカのどこだかの工場で、
 作業効率をあげるために、
 休み時間をどうとるかとか、
 照明は明るいほうがいいのかとか、
 いろんなことを試してみたら、
 明るいだの暗いだの、休み時間がどうしただのに
 ほとんど関連がつかめなかったのだけれど、
 「なにかしら変えると、作業効率はアップする」
 という結論がでたんだそうです。
 (ごめん。うろ覚えで)
 
 ぼくは、この話がとても好きでねぇ。
 「なんにせよ、なにか変える」というのは、
 正しいだのまちがってるだのを超えてね、
 「なんだか、ちょっとよくなる」ことなんですよ。
 これは、経験的に、ぼくは確信しています。
 
 「ほぼ日」でも、それはしょっちゅうやっています。
 「なに」が「どう」よくなったのか知りませんよ。
 でも、最低限言えるのは「退屈しにくい」ということ。
 同じことのくりかえしじゃないだけで、
 ちょっと気持ちよくなります。
 そして、「どうしたらいいんだろう」と
 ちょっとでも考えることで、
 「よくなること」への興味もわきます。
 これだけで、ずいぶんいいことなんです。
 おもしろくなりますからね、その場所がね。

 ほんとにもう、なんでもいいんです。
 ○月×日は「△△の日」なんてことでもいいんですよね。
 「おかゆの日」「歌の日」「アイスクリームの日」
 「ふいに早退する日」「ノーペーパーの日」などなど。
 やったほうがよさそうなら、なんでもやったほうがいい。
 気仙沼のこれからのことについても、
 「なんにせよ、なにか変える」はいいような気がします。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
つまらなそうに過ごすとか、退屈に馴れるのはよくないね。

- http://www.1101.com/home.html

左右反転で画力が分かる

絵を描かない自分としては画力は左右反転で判断してしまう
だから他人がうまいと言う漫画家の表紙をみては反転してしまう
何がわかるかというと、うまい人は左右反転しても変化がない
下手な人は違和感を感じる
大体は顔にパースをつけすぎて片目が小さかったり
顔の輪郭が変になっているもの
ROM専だがPixivでショックを受けた
プロや有名な絵師が写真をトレスどころか加工している
しかも他人の写真を盗用している
絵師から見れば写真は資料だし、トーンとかと同じ扱いかもしれない
そして絵師も時間をかけて描き上げた絵が
転載されたりパクられると物凄い勢いで権利を主張する
写真も同じなのになぜ気づかないのだろうか?
絵を描いている人から見れば写真は一瞬かもしれないが
写真も絵を描くのと同じように作られているのがわからないのだろうか
あとは偏見かもしれないが女は絵が下手だ
デッサン力をつけようとしない
男は絵が好きで憧れる漫画家がいたりして
努力して画力をつけている
女は手癖で描く
男でも手癖で描くやつは下手だ
テンプレ(ハンコ絵)は楽だし見栄えはいいだろうが
消費されるだけで忘れられる作品を描いてて楽しいのだろうか?